10周年 No,010 2008/06/03
過ぎてました。
古いHDDを整理してると96年~頃に使っていたHPデータの残骸や写真を発見
遺跡HPデータより抜粋
>> 購入時の状態
>> 1998年4月購入
>> 89-90年型 SSJr (400cc)
>> 走行15,800km
>> リアスイングアーム交換済み
>> チェーンほぼ新品
>> タイヤ6割ほど
>> 他消耗品当分使用可
>> 548,000円
てっきり夏ぐらいに買ったと思い込んでたけれど4月だったと。
で、色々と思い出とか、当時はしがない大学生でした。
カシオのQV30?とかリコーの41万画素のデジカメとかで撮ったはず。多分。片耳が欠けてます。
この写真のマスターは紛失してますが(当時のデジカメは一般的なBMPとかに変換するソフトが必要だった)フォルダ名は1998年台なので購入当初の写真と思われます。
(確かカシオは30万画素でRS232C転送だったような記憶が…)
当時のPC事情:セレロン300AとかIOのVoodoo2白箱の時代ですね。
購入しばらくした2万5千k~3万kぐらいの頃にまだ日進にあったモトプランさんでヘッド周りだけO/Hしてもらいました。
技術は一流、でも料金も一流、なんとかヘッド周りだけでもとメニューを相談していると「学生さんか」と少し色をつけてくれました。学生は免罪符じゃありませんが、機械屋さんの心意気に感謝しました。
入院中も様子を見に行くとメカさんが「あーヘッドさっき付けちゃったよ、見えにくいけれどバルブ見るかい?バッチリだよ!」と工場の中に連れて行かれセルをチョコチョコっとしてプラグホールからピカピカのバルブを見せてくれました。タペット調節はたまにしてもらっていますが現在も健康です。
当時開通したばかりの神戸淡路鳴門自動車道、明石海峡大橋を淡路島に渡ってすぐにあるSAでの一コマ。まだコンクリートが新しい。
ちなみにこのタンクバックはTT-R時代から未だに現役です。
もうこの頃には 本州 > 明石海峡大橋 .> 淡路島 > 鳴門大橋 > 徳島 は繋がっていましたがその先の四国の高速道路はまだ繋がってなく、西香川方面に向かうには海岸線を高松方面に走るか、吉野川沿いに西に進み途中で猪鼻峠を北に越える必要がありました。
これはおそらく鳴門から少し北上した辺りの海岸線?今は高速でビューン。
明石海峡大橋が出来てから実家に帰るのにフェリーを使わなくなりました。学生時代は渋滞を避ける為に一般の休日を外して走ってたので、大量のトラック運ちゃんに混ざり「船まだかいのう」と話した思い出、いざフェリーに乗り込むとむき出しの二輪では排気ガスに巻かれて臭い臭い言ってました。
about meに出てる子の前後。
実家から離れたので長く居る子以外は知らない間に増えたり居なくなったり名前が出てこなかったり、この子はどうなったのかもう覚えてません。
そして世紀末に自爆
このままの状態で数年放置してました。
γには乗っていましたが、バイクへの気持ちが薄れていたのは写真がほとんど残ってない事が物語ります。富士フィルムの4700Z?縦型のデジカメが写したのは当時の彼女や友人、飲み会、カラオケやらが殆どです。
2004年復活
速さとは何かを教えてくれたγをドナドナする事を決心、その資金を丸ごと突っ込み復帰。おそらくこの時点での走行距離は4万k程度だったと思います。
その後5万k弱?の頃にシリンダーとクランクの間からのオイル滲みが漏れレベルになり、オイルシール、ピストンリング交換、ダンパO/Hを行い、最大の懸念だった16インチタイヤも弟達のドナーにより克服。
地球をぐるっと回ったイタリアで18年前に造られ、日本にやって来てから現在までの走行距離5万9千k うちに来てから途中休眠がありつつも10年で約4万3千k。
中古車としても資産価値はとっくに失っていますがそんなことはどうでもよく思えるようになりました。
もう今は毎晩走り回ってた学生時代のように距離が伸びることはありませんが、次の区切り20年が早いか10万kが早いか。
金属加工や溶接などWEBでみかける諸兄のような技術は持ち合わせてませんが、自分なりに出来る限り手を入れて、これからもコイツが燃え尽きるまで乗り回そうと思います。
(この文章2度目にような気がするω)